三夜踊り(8月14日〜16日)
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 輪島に伝わる三夜おどりは千百余年前弘仁年中に一代の聖僧とあがめられた泰澄大師が創設されたといわれる高雄山重れん寺の殿堂伽藍の一つであった重蔵権現には毎年七月二十三日の宵から二十四日にかけて本尊の地蔵祭りが行われた。

 そうしてその年の五穀豊饒を喜び、神仏の御加護を讃える老若男女が富賎の別なく一村あげて境内におどり明かしたところから二十三夜のおどりと称され、略して三夜おどりの名ができたと伝承されている。また、一説では八月十四日から三日三晩夜を徹しておどるところから三夜おどりといわれる説もある。

 歳月は流れ流れて元禄時代に至って殊に盛んだったとのことです。これにつき、町史及び故人の伝える所によれば、三夜おどりは徳川時代には太鼓、鉦、三味線などで陽気にハヤサれて、老若男女混同で寺院や神社の境内に近くの在所の好き者が集って手振り楽しく声自慢で歌いおどったのが明治の初年頃からすたれだしたものを復活運動となり漸く機熟して大正の終りから再び盛んになった。

 現在、毎年盂蘭盆には重蔵神社境内で盛んにおどられている。












































 
五千人の祭典(8月15日)
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 お盆の時期に町野地区で行なわれる祭典。野球、テニス、相撲等の大会や鼓笛パレード、キリコ渡御、盆踊り、花火大会などが催される。
《町野公民館 @32-0136》












































 
市姫例祭(8月中〜下旬)
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 この日、朝市の守り神で知られる市姫社(いちひめのやしろ)の例祭が行なわれ朝市のおばちゃん達は、商売繁盛を祈願する。

 伝承によると1200年前に市姫社は建てられたという。

 また、舳倉島のあわびの殻を砕いて敷き詰めた「あわび板」(階段)なども造成されていて、輪島のミニ新名所となっている。

《朝市組合 @22-7653》












































 
大沢の夏祭(8月17日〜18日)         
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 大沢町で行なわれる美しい山車が見物の祭。

 17日、まず山車、御仮屋、相撲場などの清払いで始まり午後に白シャツ、白ズボン、白足袋、草鞋ばきでゲートルを着け、黒色のへこ帯でそろえた若衆が山車を引き出す。その後海岸の御仮屋で夜を明かし宮に戻り祭り終了。

 山車は、毎年違う物語の人形を飾り、色とりどりの小旗で飾り立ててある。












































 
曽々木大祭(8月17日〜18日)
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 町野町曽々木では、17日からの2日間、観光地のPRと業界の発展を願い、地元・観光協会が協力して曽々木大祭が開かれる。

 17日夜は青年団による5間半(10m)のキリコ1本と4間(7m)のキリコ4本、合計5本のキリコが豪快に町を練り歩く。

 18日夜は名勝「窓岩」の前の窓岩ポケットパークで太鼓の競演が開かれ、観光客は奥能登の祭を満喫する。太鼓の競演は、協会が保存しているドブネ(舟)を舞台に子供キリコ太鼓(大倉小学校)、キリコ太鼓(曽々木婦人消防団)、八世太鼓(曽々木青年団)、最後に御陣乗太鼓が披露される。(雨の時は会場を体験実習館に移して)その後8時頃に窓岩をバックにフィナーレの花火大会で2日間の幕を閉じる。

《曽々木観光協会 @32-0408》












































 
お斎市(8月23日〜31日)
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 わいち商店街の通りで開かれる市で、おもちゃ屋や飲食店を初め、唐津焼きの茶わん等の日用雑貨を販売している。












































 
垂水の滝天然シャワー(8月)
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 盆が過ぎれば身も凍るといわれるほど冷たい水で有名な曽々木海岸の垂水の滝は、この時期水が温み“天然シャワー”になる。

 垂水の滝は、落下地点から約4km上流の通称「時国山」の岩清
水が源流で15mの絶壁から勢い良く落ちる水しぶきは、夏の涼線として観光客等に人気がある。

 また海に流れ落ちる滝であり、冬の季節風が強い厳寒の日には滝の水が凍り、水しぶきはすべて空へ舞い上がって、滝でありながら水がおちてこない現象が見られる。 












































 
輪島大祭(8月23日〜25日)
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 輪島市内の神社がほぼ時を同じくして夏祭りを行なう。

 もともとは河井町(23日〜24日)と輪島崎町(24日〜25日)の祭であったが神社久慈(江戸初期〜中期)により輪島崎町の祭が1日遅れ、代わりに住吉神社(元は15〜16日)が入ってきた。その後、舳倉島で祭を行っていた海士町もこちらで祭をしたいということで重蔵神社の神様と夫婦ということで23〜24日にする事になった。これが輪島大祭と言われるこの祭の概略である。(輪島前神社 中村 裕 宮司より)
キリコ数

[23日]重蔵神社(@22-0695 能門 重矩 宮司)
                     河井地区  20基
   午後8時頃より各町内のキリコが神社に集まり、神事の後、河井浜まで神輿行列。大松明に火が付けられクライマックスを迎える。河井浜に勢揃いした総輪島塗のキリコは見事。

[23日]奥津比口羊神社(@22-0871 中村 裕 宮司)
                     海士地区  11基
   顔に紅を塗り、赤や青のカラフルな腰巻き姿の若い衆に担がれた神輿が、午後5時頃、次の日は午後3時頃袖ヶ浜で、それぞれ海中乱舞を繰り広げる。この神事は、海士町の女神が年に一度、海を渡り、輪島の男神に会いにきたという伝説にちなんだもの。

[24日]住吉神社(@22-0656 浅井 修 宮司)
                     鳳至地区  15基
   午後10時すぎに町内を練り歩いたキリコや神輿が三角州に集合し、大松明に火が付けられクライマックスを迎える。

[25日]輪島前神社(@22-0871 中村 裕 宮司)
                    輪島崎地区  7基
   午後10時すぎに町内を練り歩いたキリコや神輿が輪島崎町の広場に集合し、大松明に火が付けられクライマックスを迎える。
   他の地区でも同じだが、松明の頂上に立てられた3本の御弊を奪い取ると何事にも勝ち運が付くと言い伝えられており火の粉が舞い散る中、若者達が争奪戦を繰り返す。
   それぞれ翌日は、神輿が町内を練り歩き宮に戻ると祭が終了する。