御神事太鼓打ち初め (住吉神社) 市無形民俗文化財指定
七草祭[成斎(なりいわい)式](1月7日)
輪島前神社で行われる、漁業の安全を祈る神事。
輪島崎町の家々を、袴姿の当番の男に抱かれた恵比須社殿の木製御神体(56cm)が訪れる。「おおべっさまござったぞう」の掛け声とふれ太鼓で1月は山側の家から、11月は逆に海側の家から町内を一巡する。各家では主人が正装して迎え、御神体の膝にお初穂を載せ、ご弊でお払いを受ける。
住民は渡御が済むまでは昼食をとらず、秋はどんなに寒くてもこたつをしないほど信仰が厚い。
1月の「出漁恵比須祭」は初漁の安全と大漁を祈願し、11月の「仕舞い恵比須祭」は1年間の豊漁と安全操業に感謝する。
《輪島前神社 TEL 22-0871》
漁業関係者の仕事始めにあたり、豊漁と安全操業を祝う神事。市内各地で行われるが、漁師の多い海士町・輪島崎町が有名。
海士町の漁業関係者は奥津比口羊神社で、輪島崎町の漁業関係者は輪島前神社でそれぞれ早朝からお払いを受け、午後から大漁祈願祭にのぞみ神主から大漁旗を授けられる。
海士町の各家庭では、床間に鏡餅とあわびを起こす鉄製のこてのアワビガネと水中メガネを添え、氏神の奥津比口羊神社に家族揃って参拝する。住吉神社の今年の祭礼に奉仕するお当組(新当組)と、昨年一年間曳山祭などに奉仕してきた古当組のお当引き継ぎ式。
厄男たちは、紋付羽織袴姿でお払いを受けたあと、一人一人玉串を捧げて除厄を祈る。
そして最後に、「御神事当人出勤次第書」が古当会長から新当会長に引き継がれ、一年にわたって祭礼奉仕を誓う伝統の儀式を終える。
《住吉神社 TEL 22-0656》
面様年頭(1月14日・20日)
輪島崎町に古くから伝わる年明けの厄除け神事で、1月14日(おいで面様)と1月20日(お帰り面様)に行われる。これは個人の厄除けではなく氏子各家々の厄払いの行事で、国の重要無形民俗文化財に指定(S.54.2.3)されている。
男面(串柿面)と女面(女郎面)、袋持ち二人、の各二人づつのペアを組んだ小学校6年生4人(半日ごとに役所交代)が、14日は町の山側から、20日は逆に海側から各戸(約210戸)を訪れる。
二人の面様は並んで家の戸口に立ち、榊の小枝で戸口周辺を激しく叩く。それから家に入り、神棚の前で立礼した後神棚を背にして着座する。家の主人から「面様おめでとう」または「面様ご苦労さま」と年賀の挨拶を受け差し出されたお初穂をうけ取り家を出る。その間決して声をださない。
また14日には河井町重蔵神社でも行われるが少し趣が違う。
神社関係者(社事係など)4人が、それぞれ面(串柿面・上臈面・神社古伝のその他二面)と装飾を着け、各自の受け持ち分(計2,000戸余り)を訪れる。
「面様年頭」と叫んで、家のなかに「つかつか」とあがっていき、神前・家中を払い、「新年おめでとうございます」と主人の口上を受け初穂料の供進をうけて次の家に向う。
《輪島前神社 TEL 22-0871 重蔵神社 TEL 22-0695》
輪島市内の各神社で行われる。太陽への感謝と生業降興を祈願する祭。
輪島前神社では、24、25、41、42の厄年の男衆が裃姿で15日の午後8時に拝殿に参集。参拝後、翌日午前零時に夜回り神事を行なう。
お神楽太鼓を打ち鳴らしながら、伊勢音頭やまだらを歌い、町内を一巡それから浜に出て「たいござれ、さばござれ」といって豊漁を祈る。その後、拝殿で夜明しをして日の出を待つ。
《輪島前神社 TEL 22-0871》
輪島市曽々木海岸・窓岩前のポケットパークで開かれる冬のイベント。
曽々木青年団員が褌一枚で樽神輿を担ぎ、昨年の感謝と今年の繁栄を祈願して極寒の海中に入る。
その他にも太鼓の競演や寒濤みそぎ鍋・寒濤市なども開かれ写真コンテストも行われる。
タイムスケジュール
☆PM3:00 こどもキリコ太鼓
★PM3:20 御陣乗太鼓
☆PM3:40 寒中みそぎ神事
★PM4:00 終了
《曽々木観光協会 TEL 32-0408》
能登でただ一人の紙漉き職人として知られる三井町仁行の遠見さんは、この時期大忙しいとなる。冬場は原料のコゾウやのりが腐敗しにくく冷水が紙質を縮めるため、紙漉きにとっていちばん作業がしやすい時期で、書道用の笹杉や画仙紙を中心に漉いている。
先代の故遠見周作さんが紙漉きをはじめたのは40年ほど前。それまでは炭焼きやコバづくりをしていたが、周囲の山に原料のコウゾがふんだんに自生していることや、輪島塗に不可欠な和紙が地元で生産されていないため、需要の見込みありと思いこの道に入った。”専売特許”である笹杉の画仙紙に一級品の折り紙がつき、生産が軌道にのりはじめたのは十数年経ってからで、文字どおり和紙にかけた半生だった。
現在は2代目の遠見京美さんが継いでいる。
また、最近、三井の森林組合が建設した施設「ハウスあすなろ」で和紙づくりが体験でき、身近な存在になった。
これにともないふたつの和紙が出来たため、区別のため遠見さんの方を「能登和紙」アスナロの方を「能登仁行和紙」と呼ぶようになった。
《遠見京美 TEL 26-1566 ハウスあすなろ TEL 26-1818》