七尾仏壇の歴史
七尾仏壇の起源は、室町時代と推察されています。蓮如(れんにょ)上人が浄土真宗の布教に能登一円を歩かれた時代です。 室町時代初期の応永16年(1409)、守護職として七尾に入った畠山満慶(みつのり)は塗り、蒔絵、金具、彫刻などの職人や文化産業を保護し、今日の七尾仏壇の基礎を築きました。 一方、能登・畠山氏の時代が終わり1581年、加賀藩祖・前田利家が七尾入城を果たすまで七尾は北陸の中心地でした。入城当時、七尾には職業別に魚町、米町、木町、鉄砲町、塗師町などがあり、各町内ごとに区画整理されて営業され、その中で塗師町という町名は、江戸時代初期よりあったものですが、当然その町は塗師が多数いたことがわかります。 現在の七尾仏壇協同組合の前身である組織の名称は1904年の帳簿(現存する仏壇業者の最古の書類)によると「七尾町塗師業仲間」とあることから、仏壇の製造をその家業の中心とした家が多かったものと思われ、今日の七尾仏壇が生まれたのは17世紀半ごろから現在まで、およそ3世紀半もの歴史を歩んで参りました。