七尾仏壇の歴史

七尾仏壇の歴史

 七尾仏壇は昭和53年7月に国指定伝統的工芸品に指定されました。七尾仏壇の起源は室町時代といわれています。蓮如(れんにょ)上人が浄土真宗の布教に能登一円を歩かれた時代です。

 室町時代初期の応永16(1409)年、守護職として七尾に入った畠山満慶(みつのり)は蒔絵(まきえ)や彫刻、塗箔などの伝統技術産業や職人たちを育成・保護し、今日の七尾仏壇の基礎を築きました。

 能登・畠山氏の時代が終わり1581年、加賀藩祖・前田利家が七尾入城の頃、七尾は北陸でも有数の港町、そして城下町でした。当時、七尾には職業別に塗師町、大工町、鍛冶町、鉄砲町、木町、米町、魚町などがあり、七尾仏壇の製作起源や、また時の隆盛ぶりがうかがえます。

 七尾、そして能登半島は、古くから中国大陸との行き来があり数多くの文化財が残されています。こうしたすべてのものが集積して七尾仏壇が現在に息づいています。

 現在、国(経済産業大臣)指定の伝統的工芸品・仏壇産地は14産地です。
(100年以上の製造の歴史が裏付けられている産地であることが大前提です。)

 七尾仏壇は昭和53年7月に官報に告示をされ、全国で第7番目の伝産指定産地となっています。
 平成22年6月現在、14産地(山形・新潟・愛知・京都・広島・福岡八女・鹿児島 等々)です。